どんどん焼き
Q. いつからあるの?
大正時代、東京ではもんじゃ焼きを駄菓子屋とは別に屋台で売り歩くようにもなりましたが、駄菓子屋のようなゆるい粉では持ち帰り用としては適しません。そこでもんじゃ焼きは「固さ」を必要としました。その固くしたもんじゃこそが、「どんどん焼き」の始まりです。一方山形のどんどん焼きの歴史は戦前から始まります。
Q. なぜ「どんどん焼き」って呼ぶの?
屋台で売り歩くときに、客よせのために太鼓をドンドンとならしながら売り歩いたことからこう呼ばれるようになりました。地域によってはこの屋台で今川焼きのようなものや、飴なども売られていたこともあります。そのため今川焼きのことをどんどん焼きと呼ぶ地域があるようです。また、主に関西方面に伝わっていったものは「一銭洋食」と呼ばれるようになりました。ソースを塗って安価で売られていたのがその名の由来のようで、戦後、関西ではこの一銭洋食が現在のお好み焼きへと発展しました。
Q.だれが始めたの?
山形で棒に巻くどんどん焼きを初めた人物、それは大場亀吉さんです。大場さんは汚れた手ぬぐいをベルトに挟み込み、下駄を履いた小柄な人でその人こそ、箸に巻くどんどん焼きを発明した人物なのです。
大場さんは戦前からどんどん焼きを焼き始めました。それ以前は山形にどんどん焼きはなく、大場さんが東京で学んで山形で始めたのでした。やはり大場さんも太鼓を叩きながら売っていましたが、この鳴り物はのちに鐘へと姿を変えました。
Q. なぜ箸に巻くの?
当初どんどん焼きは経木にのせて売っていたのですが、子供達は熱くて持つことができません。それを見た大場さんは箸に巻くことを思い付き、自らナイフで木片を削って棒を作り、一本で巻く技術を習得し売るようになりました。これが山形特有の箸に巻くどんどん焼きの誕生です。これによって、手に持って熱くなく、片手で持ち歩けるようになり現在のファーストフードのような手軽さが生まれました。
その後、大場さんをまねてどんどん焼きを売るようになった新人さんたちは、一本の棒で巻こうとしたのですが、初心者には難しく、結局二本で巻くことにしたそうです。これが今の割り箸一膳に巻くどんどん焼きのルーツです。
平均価格:840円
評価値:4
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